コロナ禍において、「住まい」という側面では新しい価値観が生まれています。ライフスタイルを見直し、地方や都市郊外への移住を考えている方もいるのではないでしょうか?しかし、ひと言で移住と言っても、考えなければならないことはたくさんあります。どこに住むのか、今住んでいる家はどうするのか、これから住む家はどんな家を探すべきなのか。少しでも移住に興味がある方や新築をご検討の方にむけて、安藤さんにインタビューしました。
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安藤建築の原点「住吉の長屋」
1976年に完成した「住吉の長屋」という小さな家があります。事務所を始めてから7年目、10件目くらいの仕事です。大阪下町の棟割り長屋(※)の中央の一軒をコンクリートで建替えたものです。解体するときに両隣の家が倒れてしまう可能性もある、相当に思い切った工事でしたが、未経験がゆえに、怖いもの知らずであった当時だったからこそ出来た仕事かもしれません。
敷地ギリギリ一杯使って得られるのはおよそ10坪くらい。考えた末に描いたのが、この小さなスペースの真ん中三分の一を屋根のない中庭とする二階建てのコートハウスのプランです。居間から食事室、寝室への移動に、必ず中庭を通らねばならない︱機能性からすると、とても「非常識」な間取りです。周囲からは「雨の日にトイレに行くのに傘を差さねばならないとは何事か」「建築家のエゴが過ぎる」と厳しい批判も受けました。しかし、共に長屋暮らしの経験を持つ私とクライアントは、この「非常識」な中庭こそを住まいの心臓だと考えていました。長屋の薄暗闇に、中庭を通して入り込む光や風。それがいかに心地よく、価値のあるものであるかを身体で理解していたからこそ、自然と共に生きる住まいの実現に、私たちはこだわったのです。この判断が間違いでなかったことを、クライアント夫妻は、この家と共に生きて年を重ねることで証明してくれました。50年近く経た今も、変わらぬ姿で住まわれています。
「住吉の長屋」は、ある建築賞の候補に挙がりました。その現地審査の時です。審査員として訪れた村野藤吾先生という建築界の大御所が中庭に立ってこう言われました。
「確かにおもしろい家だが、これは建てさせた施主が偉い。賞を与えるなら施主に」。
先生の言葉は「自分なりの建築をつくろう」と前のめりで走り続けてきた私の心にとても響きました。結局受賞は叶いませんでしたが、村野先生から頂いたメッセージは今も大切に胸にしまっています。この仕事で私は自身の建築の原点とすべきものを見つけました。小さくとも私とクライアントの人生にとって、とても大きな意味を持つ住宅です。
1976年に完成した「住吉の長屋」という小さな家があります。事務所を始めてから7年目、10件目くらいの仕事です。大阪下町の棟割り長屋(※)の中央の一軒をコンクリートで建替えたものです。解体するときに両隣の家が倒れてしまう可能性もある、相当に思い切った工事でしたが、未経験がゆえに、怖いもの知らずであった当時だったからこそ出来た仕事かもしれません。
敷地ギリギリ一杯使って得られるのはおよそ10坪くらい。考えた末に描いたのが、この小さなスペースの真ん中三分の一を屋根のない中庭とする二階建てのコートハウスのプランです。居間から食事室、寝室への移動に、必ず中庭を通らねばならない︱機能性からすると、とても「非常識」な間取りです。周囲からは「雨の日にトイレに行くのに傘を差さねばならないとは何事か」「建築家のエゴが過ぎる」と厳しい批判も受けました。しかし、共に長屋暮らしの経験を持つ私とクライアントは、この「非常識」な中庭こそを住まいの心臓だと考えていました。長屋の薄暗闇に、中庭を通して入り込む光や風。それがいかに心地よく、価値のあるものであるかを身体で理解していたからこそ、自然と共に生きる住まいの実現に、私たちはこだわったのです。この判断が間違いでなかったことを、クライアント夫妻は、この家と共に生きて年を重ねることで証明してくれました。50年近く経た今も、変わらぬ姿で住まわれています。
「住吉の長屋」は、ある建築賞の候補に挙がりました。その
現地審査の時です。審査員として訪れた村野藤吾先生という建築界の大御所が中庭に立ってこう言われました。
「確かにおもしろい家だが、これは建てさせた施主が偉い。賞を与えるなら施主に」。
先生の言葉は「自分なりの建築をつくろう」と前のめりで走り続けてきた私の心にとても響きました。結局受賞は叶いませんでしたが、村野先生から頂いたメッセージは今も大切に胸にしまっています。この仕事で私は自身の建築の原点とすべきものを見つけました。小さくとも私とクライアントの人生にとって、とても大きな意味を持つ住宅です。
建築の光を追求した「小篠邸」
1976年に完成した「住吉の長屋」という小さな家があります。事務所を始めてから7年目、10件目くらいの仕事です。大阪下町の棟割り長屋(※)の中央の一軒をコンクリートで建替えたものです。解体するときに両隣の家が倒れてしまう可能性もある、相当に思い切った工事でしたが、未経験がゆえに、怖いもの知らずであった当時だったからこそ出来た仕事かもしれません。
敷地ギリギリ一杯使って得られるのはおよそ10坪くらい。考えた末に描いたのが、この小さなスペースの真ん中三分の一を屋根のない中庭とする二階建てのコートハウスのプランです。居間から食事室、寝室への移動に、必ず中庭を通らねばならない︱機能性からすると、とても「非常識」な間取りです。周囲からは「雨の日にトイレに行くのに傘を差さねばならないとは何事か」「建築家のエゴが過ぎる」と厳しい批判も受けました。しかし、共に長屋暮らしの経験を持つ私とクライアントは、この「非常識」な中庭こそを住まいの心臓だと考えていました。長屋の薄暗闇に、中庭を通して入り込む光や風。それがいかに心地よく、価値のあるものであるかを身体で理解していたからこそ、自然と共に生きる住まいの実現に、私たちはこだわったのです。この判断が間違いでなかったことを、クライアント夫妻は、この家と共に生きて年を重ねることで証明してくれました。50年近く経た今も、変わらぬ姿で住まわれています。
「住吉の長屋」は、ある建築賞の候補に挙がりました。その現地審査の時です。審査員として訪れた村野藤吾先生という建築界の大御所が中庭に立ってこう言われました。
「確かにおもしろい家だが、これは建てさせた施主が偉い。賞を与えるなら施主に」。
先生の言葉は「自分なりの建築をつくろう」と前のめりで走り続けてきた私の心にとても響きました。結局受賞は叶いませんでしたが、村野先生から頂いたメッセージは今も大切に胸にしまっています。この仕事で私は自身の建築の原点とすべきものを見つけました。小さくとも私とクライアントの人生にとって、とても大きな意味を持つ住宅です。